Dec 18, 2008

"ゴールドカードを持っていて良かったと思っていた"

正確に覚えていない、もう30年くらいはVIZAゴールドカードを所有している。年会費は1万円かかるが、ゴールドカードを持っていて良かったと思ったことが何回して。これは、海外出張した際、空港でチェックイン後、出発ロビーの近くにあるラウンジを利用することができる搭乗時間が来るまでコーヒーを飲んだり、、おつまみを食べながら新聞や雑誌を読んで、ゆっくりとリラックスしている。出張前に、緊張を緩和させてくれたのは、非常にありがたかった。
カードローンなどの難しいテーマを独学で身につけるのはなかなか難しいものです。無料で行なっている専門講座もあるようです。自分が住む地域で開催されるとき、必ず足を運ぶようにしましょう​​。カードローンの複雑さを明快にしていくことが課題となるでしょう。初心者にも分かるように説明をしていくと好印象ですね。
 ナマコ密漁グループを取り仕切ったとして、指定暴力団山口組2次団体「弘道会」系暴力団幹部が漁業法違反などの疑いで逮捕された事件で、北海道警は14日、釧路市内の暴力団事務所を同容疑などで捜索した。

 道警は、グループが居酒屋などで知り合った人物をメンバーに引き入れ、潜水の訓練をさせて密漁を繰り返していたとみて調べている。

 道警幹部によると、主犯格の暴力団幹部、平岩秀男容疑者(61)は、釧路市内などの居酒屋やマージャン店で生活費に困っている人物を見つけ、「もうかる仕事がある」などと持ちかけていた。引き入れたメンバーの一部には民間のダイバースクールを紹介。密漁するための訓練をさせていたという。

 これまでの道警の調べでは、グループは昨年4月以降、毎月10回のペースで密漁を繰り返し、計約60トンのナマコを取ったとみられる。

 □京都医療センター名誉院長北野病院長・藤井信吾さん

 ■遅れて進んだ医者への道  安い英語版の教科書で勉強。

 −−医学の道を志そうと考えたのはいつごろからですか

 藤井 最初は医師になるなんて考えていませんでした。父親の会社を継ぐつもりでしたから。しかし、兄がその道に進んでしまったので、自分は違う人生を選ぼうと思い、高校3年で医学部に行くと決めたんです。担任の教師に相談したら一笑にふされて、「医学部に行こうとする者は早くから準備するもんだ。とても無理だ」と言われました。

 −−それでも押し切って医学部を受験したのはどうしてですか

 藤井 当時、医師という選択肢が非常に身近になっていたからです。義理の兄が産婦人科の医師で、働く姿を見てあこがれていました。でも、やはりうまくいくはずありませんよね(笑)。

 −−大学受験の壁は厚かった

 藤井 京大医学部に挑戦しましたが、2年も浪人しました。社会と物理が苦手だったので1度目に落ちた後に克服し、2度目の受験は100%合格したと思っていましたが、甘かった。今度は単純なケアレスミスでまた落ちて、頭が真っ白になりました。

 −−それはつらい経験になってしまいました

 藤井 当時の2浪といえば、今よりも屈辱的でした。家のほうも経済的に厳しかったので肩身が狭かったです。

 −−そのような逆境から立ち直るのは大変だったでしょう

 藤井 やけを起こして、文学全集を読んだりして勉強しない時期もありました。高校の先生が励ましてくれて、何とか勉強に向かえました。最後の受験では、1点をおろそかにしない心を持って臨みました。ただ、振り返ってみれば、あのとき浪人してよかったと思います。

 −−学ぶものが多かったということですか

 藤井 この時期に、自分の軽はずみな行動や思い込みについて何度も自問自答できたのは財産です。後れを取り返す気持ちで医学部に入学しましたが、大学で予想もしなかった荒波が襲ってきました。

 −−その「荒波」とはいったいどんなものだったんですか

 藤井 教養課程が終わった3年目のときのストライキです。2年間続き、その間勉強は全くできませんでした。気がつけば残りはあと1年。当時はまだ解剖学を少しかじったばかりだったので、知識もないに等しく、身震いするほどの焦りを感じました。ここから、寝る間も惜しんで医学を勉強しました。記憶ではなく、医学を理解しようとしました。

 −−確かに「記憶すること」と「理解すること」と比べると、大きな差がありますね

 藤井 困難な作業でした。頭の中で糸がつながるようにしないといけません。英語の医学書や内科の教科書を読んでは、理論的に頭の中で構成し直しました。お尻にいすがひっつくんじゃないかと思うぐらい勉強しました。貧乏でしたから、日本語の教科書は高くて買えなかったので、安い英語版を購入していました。

 −−そして、行き着いたのが、最も身近だった産婦人科の医師だったということですね

 藤井 実家の経済状態はさらに悪くなり、仕送りがもらえなくなったとき、産婦人科医の義理の兄が助けてくれました。その恩返しがどうしてもしたかったんです。産婦人科の医師になることは自然な形でしたね。(聞き手 板東和正)

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